1回だけマスクが落ちていた道を通るたびに、息子が「マスクないね~」と言う今日この頃です。
人によって基準は違います。
例えば、掃除を誰かに頼んだ時に全然きれいになっていない。
でも、ちゃんと掃除をしたかと聞くと、掃除をしたと答える。
見た感じ変わったところは物が整理されただけ。
頼んだ方は言います。
「物を端っこに置いただけやん。掃除は拭き掃除してほこりもちゃんと取らないとあかんで」
実は掃除をした方はちゃんと掃除をしていると思ってたりするんです。
頼んだ方の掃除とした方の掃除の基準が違うんですよね。
掃除=片付け、掃除=片付け&拭き掃除&掃除機など。
逆を言うと片付けだけは掃除ではないと思っている人ももちろんいます。
また、ゲームをしたいと言う子に「じゃあ30分だけね」と言うと、30分はやったうちに入らないと。
30分のゲームがしたことになるのか、ならないのか。
これも人によって基準が違います。
勉強も同じ事が言えます。
勉強全然してないと言ってるのに、いい点数とる人っていませんか。
全然してないって言われると本当に0分って思うかもしれませんが、実はそうではないことが多いんですよね。
毎日1時間勉強している(塾なども含め)けど、本人の中ではそれは全然してないになる。
1日3時間ぐらいから勉強していると感じていたりするんですよね。
勉強しているの基準がみんな違うんです。
教育系の動画の人たちが「耐久10時間勉強」などを行っているのがあります。
すでにいろんな解説動画を出している人たちでも、それぐらい勉強していたりします。
5分したら、宿題したら、塾に行ったら、1時間したら、宿題以外に自分の勉強をしたら、3時間したら…
「勉強した」という基準がみんな違うんです。
普段週2回の生徒たちが今回の夏期講習で1日2コマや3コマを行っています。
その生徒が1日1コマのとき「今日は1コマかぁ」と話します。
1日1コマが少なく感じ出しているんですよね。
これも基準が上がった結果だと思います。
勉強に対する姿勢や基準を変えてくことで、勉強するのが当たり前と思えるのではないかと考えています。
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室長